「的」には2種類あることに気付いているだろうか。
確かに、「板切れや紙切れを『得』て如何するんだ」という意見には賛同するが、「狙いを付けた『獲物』」を「的」とした場合には全く意味が異なってくる。
なぜなら、、、
的を射る
射られた的は、当然絶命するか、断末魔の叫びを上げながら転がり回ることになる。
従って、「あの住民の言葉が『的を射た』と見えて、その評論家はその後一言もことばを発することはなかった。」「日ごろ温厚な社長が、会議の席で『的を射られ』怒鳴りながら会議室を出て行った」といった使い方が正しい。
的を得る
「的を絞る」という慣用句からも分かるように、「絞る」前の「的」、あるいは、「絞り」込まれた「的」のことで、今まさに弓を構えるに値する「獲物」が目の前にいる状況をいうのである。
刑事A: | この季節(真冬の午後)5時にはすっかり暗くなっていませんか? なのに、あの目撃者、髪型から靴の色まで証言しているのは、おかしくありませんか? |
刑事B: | お前の言うことは「的を得ている」。 明日もう一度任意で呼び出そう。 |
A: | この前は、聞かない事までべらべら喋っていたのに、あのことを質問した途端「的を射た」と見えて、その後黙りですよ。 |
B: | よし、これから、そいつのアリバイを徹底して調べ上げるぞ! |
以上のように、「狙いを付けた状態」が「的を得る」、「息の根を止めること」が「的を射る」である。
前半で「的を射る」を使うと明らかに誤用であり、「弓矢を指し棒代わりに使っているだけではないのか」と疑問に思った者の中から「的を得る」の方が状況に合っているのではないかと使われ始めたのでは?
恐らく「的を射る」を指し棒代わりに使っている者は「白羽の矢(を立てる)」と取り違えているか、虫の食った古文書のごとく知識をも侵食されているのであろう。
結論:
「的」と聞いて、紙切れや板切れしか思い付かない人は、「実」のない「点数稼ぎ」に終始して、今後も「点数」をお稼ぎください。
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Keywords: 正鵠を得る
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