- 凝った料理
- 「技巧を凝らす」に代表されるように、料理に対して何かを「付加」することに重きを置いたものであり、「情熱を注ぐ」「心を込めた料理」「愛情が隠し味の料理」「豪華な盛り合わせ」なのである。
- こだわりの逸品
- 「今朝、畑で収穫された素材だけで作ることにこだわった一品」「原材料全てを国内産にこだわって作った一品」「昔懐かしい味の再現にこだわって作った自慢の逸品」などの「選別」に重きを置いたものである。
「こだわり」は悪い意味で使われるといっている者がいるが、、、
刑事ものの小説やドラマによくある、政界・財界の大物と称する者の抗議によって、上層部から「捜査中止」を命じられた刑事が、尚も命令に背いて捜査を続けようとしている場面で、「何時までもこだわるな。俺達にも生活があるんだ」「俺達も納得はできないが、何時までもこだわるな。」などの台詞を、同僚、あるいは直属の上司が、よく吐くことからも分かるとおり、とどのつまりは、「長いものに巻かれた」側の連中が「面倒」になることを嫌がって「こだわるな」といっているに過ぎない。
「世間擦れ」した奴ら、「世渡り上手の罰当たり者」が好んで使う言葉が「こだわり」なのであって、「こだわり」という言葉自体が悪い意味ではない。
「些細な事柄や、小さな変化も見逃してはいけない」職種・職業もある筈で、「細部に至るまで注意を払う」ことを「疎ましく」思う連中が、「悪いこと」であるかのように「吹聴している」に過ぎないのであり、これを真に受けているとしたら、「馬鹿丸出し」で「意気地無し」ということだ。
「ビールの銘柄にこだわる」は、本人にとっては、単に「ビールの銘柄に験を担ぐ」「ビールの銘柄で験担ぎ」なのだが、他人から見れば「何の特にもならないことしている」かのような表現になるだけであり、かつ当然、裏事情を知る筈もない他人はそう解釈せざるを得ないだけである。
このように裏事情を知らないものが一方的に「些細なこと」「意味のないこと」と決め付けているとしたら、実に「傲慢」であり、従って、他人が「こだわる」を使って表現すると「傲慢さ」を表していることになり、結局「墓穴を掘る」破目に陥ることに気付くべきである。
kotobank – デジタル大辞泉 – こだわ・る〔こだはる〕
用例として「些細(ささい)なミスにこだわる」とあるが、正しくは「些細なミスにも囚われる」「些細なミスをも引き摺る(性格|癖がある)」ではないのか。
「こだわる」は「それを繰り返し行う」ことが可能で、即ち「同じミス」なら繰り返す事もあるが「ミス」は「過去のもの」でありそれ自体は繰り返せない筈であり、「これから起きるかもしれない」あるいは「起きないであろう」「ミスを気にする」のは「癖(へき)」というべきである。
「潔癖症」の者は「綺麗にすることにこだわっている」のではなく、「潔癖症には癖がある」、つまり「汚れていなくても綺麗にする癖がある」が正しい表現であり、「まだ起きていないミスを執拗に気にする」のは「性癖」というべきである。
IMEでは「拘る」と出るが、手持ちの辞書やWeb上の辞書で「こだわる」を引いても「かな書き」のみで、これは「泥」の意味を含んでいないからこそで、漢字が使われても「拘」だけということではないのか。
「こだわり」が「拘泥」の音便もしくは、語源であるなら「こだわり」は悪い意味といえるが、「こだわり」に「泥」は含まれているのだろうか?
「ウザイ」の語源は「うざったい」で農作業をして靴の裏に土が付いて歩き難くなった状態を言うのであり、何時までも「土に付き纏われている」状況をいうのである。
したがって、「拘泥」に近い意味を持つのは「こだわり」ではなく「ウザイ」の方であり、「ストーカー」「お荷物」の所為で活動が制限されている状態をいい、これなら「些細なミスを引き摺る」によく合う。
対して、「こだわる」は積極的にそれを行うことをいうのであり、たとえば「電車の運転手の指差し確認」などであり、「これだけハイテクの時代になっても電車の運転手は未だ指差し確認に『凝って』いる」とはいわないし、まだ当分「指差し確認に『こだわって』頂きたい」ものである。
結局、語学者連中の頭の中では「拘泥」の「泥」が「こだわる」に付き纏って離れないだけでは。
結論:
擦れて色落ちしたり穴の開いたジーパンを身に付けるより、あなた自身の「世間擦れ」がバレない様にこだわってみませんか?
追記:
検索エンジンに掛けても検索結果の抜粋には「こだわりの逸品」ばかりで「食材の何にこだわって作ったか」「産地の何にこだわって取り寄せたか」はまったく知ることは出来なかった。。。
「こだわりの人」も絶滅危惧種か?