「『やばい』を『とてもすばらしい』の意味で使う」と言っている連中の感性が理解できない。
なぜなら、、、
「やばい」は自分の立場や置かれている状況を言うのであり、対して「すばらしい」は目の前のモノや風景を詠嘆する言葉だからである。
つまり、あまりの「素晴らしさ」に思わず奇声を発しそうになって「やばい」のである。
飽く迄も、奇声を発した後の自分の立場が悪くなりそうで「やばい」のであり、周りの白い目が分かっているからこそ感情を抑えるのに必死で尚「やばい」のであり、心情をこれほどまでに上手く表現はそうは無いと思うのだが。
結局、虫の食った古文書ばかりを漁っている語学者のウンチクより、若者の使っている生きた言葉の方が「とても素晴らしい」のが「当り前」ということである。
それにしても、何を根拠に「やばい」を「すばらしい」と解釈したのか甚だ疑問であり、「指差した」その指先を凝視するような幼稚さしか感じないが。
むしろ、文化庁が毎年行っている「国語に関する世論調査」が「間違い」を蔓延させている元凶ではないのか。
後、テレビのクイズ番組での三択問題。
当然「正しい答え」より「面白い間違い」の方が記憶に残り、視聴者、メディア、文化庁の三者で間違いを延々とたらい回しで、「飯の種は尽きず」で「やばい」ってか。
結論:
やはり文系は物事の上っ面しか読み取れない!
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